つれづれ小道

だいたい二次元にいるオタク。鉄道擬人化とか刀剣とか舞台とか旅行などが好き。

「我是白龙」(私はハクだ)

noteからの引っ越しどうしようかなと思って、ひとまずはてなさんにやってきました。続くか分かりませんがよしなに。

 

タイトルは「千と千尋の神隠し」のハクの台詞です。

ここのところ、「羅小黒戦記」の吹替、字幕などの話からこの台詞のことを良く思い出すのでメモをしておこうと思って書きに来ました。

どの言語同士も翻訳というのは100%原語そのままを表現できるものではないというのは大前提だと思います。ただ、その中でも中国語と日本語は共通で漢字を使っているということが良い効果をもたらすことも、逆に遠ざかってしまう効果をもたらすこともあるのかもしれないなぁと思うことがあります。

日本語では同じ音同士の漢字が中国語ではそれぞれ別の読み方をするということがありますし、漢字は共通でも意味が同じ場合と違う場合などとあり、文字が共通である故の罠みたいなものがあるのかもしれないと思うわけです。

 

千と千尋の神隠し」(中国名:千与千寻)は中国でも見たことがある人が多い作品だと思います。もう15年ほど前のことですが、北京のCDショップで「千与千寻」のVCD(CDに映像が入っているもの)を買いました。この千と千尋は中国語吹替版で、日本語は一切含まれていないものでしたが、元の映画を何回か見て台詞はだいたい覚えているので中国語吹替版を良く見ていました。

ハクの声優さんの声は中国語もかっこいいなぁとか、その他の方も原作の雰囲気そのままでいいなあなんて見ていた訳ですが、一点どうしても気になっていることがありました。それはハクの名前です。

※ここから先は千と千尋のネタバレだけどみんなもう見てるよな!?という前提で行きますので宜しくお願いします!

 

まず千尋は湯婆婆から贅沢な名前だと「尋」という名前の漢字を奪われて「セン(千)」と呼ばれるようになります。つまり、ハクも名前の一部を奪われている可能性があるということが冒頭で示されています。

 

そして、千尋と出会った時に「私はハクだ」という場面。ここで、ハクは「我是白龙」(wǒshìbáilóng)と千尋に言います。

ちょっと待ってくれ!出会ってすぐに自分が竜であることをバラして良かったのか!?とはちゃめちゃに動揺してしまいました。それは後のお楽しみなのではー!?と。そして、ハクが竜になった状態で傷ついて千尋の元へとやってくるシーンに到ります。

千尋が「ハクー!」と思わず呼びかけてしまってから、あの白い竜がどうしてハクだと分かるのだろうと思ってしまっていそうな「え、ハク?」というあのシーンです。

「白龙ー!」と文字通り白い竜に向かって千尋が呼びかけます。そうだね、白い竜だもんねとなります。つまり、中国語ではあれがハクだとは思わなかったのにどうして分かるのだろうという感情はもちろんあるのですが、最初に出会った時にハクが竜であると自己紹介済みな訳です。

そして、ハクの名前は「白」という漢字を充てる名前ではなく、「ニギハヤミコハクヌシ」の名前の一部を奪われたせいでハクとなっていたことがわかります。漢字で表現しようとすれば、「白」(bái)ではなく琥珀の「珀」( Pò)という名前になってもおかしくなかった訳です。

 

このような状態で、なぜ中国語吹替では「白龙」を名乗らせたのだろうかと勝手に考えることになりました。

・「我是~」で名前を言う場合、一文字の名前を名乗ることは少ない。基本は姓名で名乗る。「我是白」ではちょっと落ち着かない気がする。

千尋の「セン」の中国語名は「小千」、リンは「小玲」など小が付く。しかし、小はある程度偉い立場のハクには相応しくないのかもしれない。老はもっと違う気がする。

・じゃあ大を付ければいいのかといえば、「我是~」と自分で言うのに変な気がするし、そもそも見た目が子どもなので大は違う気がする。

・日本語のハクが白の音読みなことと、ハクが白竜であることは密接に関わっている気がする。

・竜が川の神様であることは日中ともに共通(仔細については異なるが水の神であることは確か)⇒川の神様の琥珀主が本来の姿であることへ繋がるので、竜を押し出すことはそんなにおかしくない気がする。

 

ちなみに、蛙達などが「ハク様」と呼ぶ時は「白先生」(báixiānshēng)と呼ばれていました。先生というのは日本語の教師などを指す単語ではなく、男性への尊称です。「大人」でも良い気がするのだが、やはり子どもに向かっては使わないのだろうか。あくまで湯婆婆の下についている弟子的存在だからだろうか。

 

中国語しか分からずに見ている方は、ハク(白龙)がニギハヤミコハクヌシ(赈早见琥珀主)の名前の一部だったということは分からないまま見終えてる可能性が高いんですよね。気になる方は見終った後に、日本語ではどうだったかを確認しているかもしれませんが。

 

そんな感じで、どう翻訳するのが相応しかったのだろうかと考えたり、どのように考えて翻訳したのだろうかと考えたりする初めての問題はこの「我是白龙」でした。

 

そして、中国語⇒日本語の吹替は日本語の方がどうしても音数が多くなる関係でかなり略せざるを得ないということを「羅小黒戦記」で実感した今になって思うのですが、逆に日本語⇒中国語の吹替は中国語にとっては音数が多すぎる可能性がある訳です。

「ワタシ/ハ/ハク/ダ」は7音節4単語、「wǒ shì bái lóng」は4音節4単語です。この辺りの音数の問題も随所にあったのかもしれないなぁと、勝手に今更ながらの納得などをしている昨今です。

 

 こういう言語の行ったり来たりは楽しくていつまでも遊べてしまうんですよね、という話でした。